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1.概略


 北スマトラ州の州都メダン市は、標高14mで、デリー平野の北部、デリー川とバプラ川が合流する地点に位置する。もともとは、マレー人の小村に過ぎなかったが、1860年代にオランダの植民地支配の下で、タバコ、茶、ゴム、油椰子などのプランテーション産業の拠点として急速に発展してきた。

 現在は、人口約211万人を擁するスマトラ島最大の都市として、また、市内北方25kmに位置するベラワン港を拠点とした交易の中心地として、インドネシアにおいて重要な地位を占めているほか、国内最大の湖、トバ湖(市内の中心地より南東約200km)の玄関口として内外から多くの観光客が訪れる。

 近年は、インドネシア経済の堅調な成長を背景に、メダン市内でも中間所得層の豊富な消費活動が顕著であり、市内に次々にショッピング・モールや高級ホテルがオープンしている。また、今後の成長分野として、スマトラ島の豊富な農業資源、地熱などの自然エネルギーの活用が期待されており、シンガポールやクアラ・ルンプールとも近い地理的な優位性とも併せて、大きな潜在力を秘めた地域として今後の動向が注目されている。


2.略史


7世紀後半 スマトラ島南部に仏教王国シュリーヴィジャヤ朝が興り、後にスマトラ島の大半、マレー半島などを支配
~14世紀 スマトラ北部海岸地域にイスラム王国が誕生
1604~1637年 イスカンダル・ムダ王がアチェ王国を統治、スマトラ北部の他のイスラム王国、マレー半島のケダー王国を支配
1821(~37)年 西スマトラでオランダの植民地支配に反対するパドリ戦争勃発
1824年 英蘭条約締結(オランダがスマトラを英がマレー半島を統治することを定める。)
1871(~1904)年 ダルサラム・アチェ王国とオランダとの間でアチェ戦争勃発
1886年 オランダ政府、メダンを北スマトラの州都と定める。
1942~1945年 日本軍占領
1945年 8月17日 インドネシア独立宣言
1949年12月27日 オランダがインドネシアに主権を委譲
7世紀後半 スマトラ島南部に仏教王国シュリーヴィジャヤ朝が興り、後にスマトラ島の大半、マレー半島などを支配

 ※ メダン市は、同市の設立日を1590年7月1日と定めているが、これはカロ語   の古文書に出てくるカロの指導者パティンプスが、この地を切り開き、メダンと名付けたとされる故事に由来する。


3.人口、人種


 メダン市の人口は約211万人(2010年。北スマトラ州全体の約16%がメダン市に居住)。人種的には確かな統計はないが、歴史的にはマラッカ海峡沿いにマレー人、山岳地帯にバタック人(さらに6系統に分けられる)が住んでいたとされる。その主要分布は現在もなお変わらないが、メダン市内は、他のインドネシアの大都市同様、正に「混合」であり、プランテーション時代、更に戦後政府の移民政策で移り住んだジャワ人が最大勢力であり、バタック人、マレー人も多い。また、メダン市の一つの大きな特徴は「中国系」インドネシア人が市人口の2割(推定)を占めていることである。これは全国平均が3%と言われている中で際だって高い数字である。その他、アラブ系、インド系住民も他のインドネシアの大都市と比べると目立つ存在となっている。

 また、バタック人は、インドネシアの中でもイエス・ノーの態度をハッキリさせ、かつ勇猛果敢な民族であるとして知られている。そのためか、インドネシアの政治家、高級軍人にはバタック出身の人物も多く見られる。また、法曹界にも多くの人材を輩出している。現役閣僚では、スディ・シララヒ国家官房長官、スンビリン通信・情報大臣(出身は西スマトラ州のブキッティンギ)がバタック出身である。また閣僚等経験者に、ファイサル・タンジュン元国軍司令官、アクバル・タンジュン元国会議長、ブガラン・サラギ元農業大臣、パナギアン・シレガル元環境大臣などがいる。


4.宗教(メダン市)


イスラム教 67.80%
キリスト教 22.06%
仏教 8.81%
ヒンズー教 0.44%
その他 0.04%

(2010年中央統計局北スマトラ支所市勢調査より抜粋)


気候及び風土


 年間を通じて高温・多湿な熱帯雨林気候であり、4月から5月が小雨季、9月から12月が雨季、その他が乾季とされているが、それほどハッキリとした区別があるわけではない。降雨は大体スコール型で、局地的に強く短時間に降る。日中にも降るが、特に夕方遅くから夜間に降ることが多い。近年では、気象が変わってきていることもあり、乾季期間であるにも係わらず、大雨が降ることもしばしば見受けられる。


6.風俗・習慣


 バタック人にはキリスト教徒も多いが、メダン市内での主流はやはりイスラム教徒である。従って、他のインドネシアの地域同様、イスラムの生活習慣には気を配る必要がある。「豚肉を食する」「左手で物を渡す」「飲酒を強要する」「子供の頭を撫でる」などはタブーである。また、午後6時30分から7時の時間帯、金曜日の正午から1時(モスクで集団礼拝をするため)に訪問したり、会う約束をするのは避けた方が良い。

 イスラム教徒は年に一度断食を行う(ラマダンと呼ばれ、イスラム暦によるため毎年少しずつずれる)。断食期間中、イスラム教徒は日の出から日没(18時半頃)の間一切の飲食を控え(タバコを含む)、早めに帰宅するので、要人との会談等の場では、十分留意の必要がある。また、1ヶ月の断食が終わると、断食明け大祭(ハリ・ラヤと呼ばれる)が控えており、その前後1週間は田舎に帰省する人で街はごった返し、各交通機関はかなり混乱するのが常である。


7.経済指標


(1)主要産業:ゴム加工業、化学産業、食品製造業、木材加工業。

(2)市民総生産(GRDP):93兆1000億ルピア(2011年)

   市民1人当たり総生産:4,390万ルピア(2011年)

(3)経済成長率:7.9%(2011年)


8.邦人


 在留邦人は遠く明治時代より相当数が在住しており、大正時代には数百名に及んだという記録が残っている。昭和3年に在メダン領事館が開設された。日本人学校は1980年4月より設立されていたが、生徒数の減少により、1998年3月をもって休校となった(2002年正式廃校)。

 邦人数(メダン市) 69人(2011年10月現在)



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